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桂米之助 (3代目) : ミニ英和和英辞書
桂米之助 (3代目)[3だいめ かつら よねのすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい, かつら]
 (n) (abbr) knight (shogi)
: [こめ]
 【名詞】 1. uncooked rice 
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [すけ]
 (n) assistance
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)

桂米之助 (3代目) : ウィキペディア日本語版
桂米之助 (3代目)[3だいめ かつら よねのすけ]

3代目 桂 米之助(3だいめ かつら よねのすけ、1928年11月8日 - 1999年3月5日)は、上方噺家大阪府大阪市出身。本名は矢倉 悦夫出囃子は「おそづけ」。
== 来歴 ==

大阪市東成区今里の生まれ。映画館主であった父の影響を受け少年時代より映画落語のポスターや資料収集に凝り、これらを送った事が縁で作家正岡容の知遇を得、正岡門下の中川清(のちの3代目桂米朝)とも知り合う。
なお、正岡に送った映画ポスターやビラのコレクションは質量とも素晴らしいもので、感激した正岡は、榎本健一古川ロッパに寄贈したが、三人で矢倉少年の実家の職業を詮索し、ロッパの「多分印刷屋の倅だろう。」の一言で、印刷屋の息子と思われていた。〔戸田学「上方落語の戦後史」p・46岩波書店2014〕
戦時中(1943年8月)に大阪市交通局(当時電気局)に入局。市電天王寺車庫で長谷川多持(のち5代目桂文枝)と出会う。文枝に落語の世界に進めたのも米之助である。
1947年7月、かねてから懇意にしていた4代目桂米團治に入門、師の前名「米之助」の名をもらう。それを知った中川もほどなく米團治に弟子入りし、長谷川も4代目桂文枝に入門する。しかし米之助自身は母親の反対にあい、落語家を本職とすることは叶わず、大阪市交通局には定年まで勤め上げていた。
とはいえ、落語界とのつき合いその後も続き、折あるごとに高座に上がるだけでなく、1972年には自宅のある東大阪市菱屋地区の集会所にて「岩田寄席」を主宰し3代目桂べかこ(現在の3代目桂南光)、笑福亭松葉(後の7代目笑福亭松鶴)、桂春若ら若手の育成にあたった。「岩田寄席」は近畿における地域寄席の先駆としてもその意義は高い。
1998年11月ワッハ上方にて古希記念独演会を開催。その4ヶ月後に亡くなった。
社会人との兼業であったため、「上方落語の四天王」ほど目立った活躍はなかったものの、「岩田寄席」などを通じて1970年代デビュー勢を中心とする若手を一門を問わず指導し、上方落語復興の地盤を固めた功績は大きい。
落語に対する知識は博識で桂米朝でさえ『わからんことは悦ちゃん(本名)に聞きなはれ』というほど。また、師匠譲りというべきか、文章が上手く、著書もある。
淡々として、欲の無い、しかし腕前は確かな、至って古風な芸風で、最も師米團治に似ていると評価された。米朝と6代目笑福亭松鶴との間で5代目桂米團治襲名を検討する話もあったほどである。持ちネタは多かったが、あえて「得意ネタ」を挙げるとすれば、上記の古希記念独演会でも演じた『くっしゃみ講釈』、毎日放送の『特撰! 落語全集』で演じた『仔猫』など。なお、CD-ROM『古今東西噺家紳士録』には、NHKで演じた『花筏』が収録されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桂米之助 (3代目)」の詳細全文を読む




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